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伊東深水

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プロフィール

伊東深水
Shinsui Ito

1898年~1972年。東京出身。

浮世絵師であり日本画家、版画制作も行った。

穏やかで柔らかな美人画を多く描いた。

 

大正から昭和という変革の時代に、日本画の伝統を守りつつも新しい領域を目指した活動を行い、

現代日本画へ伝統を繋ぎ、日本美術史に大きな貢献をした一人である。

たくさんの人々を魅了した美人像は、描写力の高さや健康的で女性らしい柔らかさが感じられる。

 

小学校3年で中退し、以後は看板屋に奉公し住み込みで働く。

職工となり印刷会社で働いていたところ日本画家の中山秋湖に出会い、日本画を習う。

その後、鏑木清方へ入門し、清方より『深水』の号を与えられ精進する。

 

1912年の巽画会展で初入選してから、その後も数々の美術展覧会に出品しては何度も入選し、若くして人気画家となった。

数々の注文依頼をこなすだけでなく、東京日日新聞(現在の毎日新聞)・国民新聞(現在の東京新聞)・時事新報に挿絵を描くなどの活動もする。

 

明治末期から大正にかけて起こった”創作版画”運動の流れのなかで、あくまでも従来の分業による製作方式(浮世絵版画と同じ方式)を続け、創作版画運動と対をなす”新版画”運動を展開した。

初めての木版画作品は「対鏡」であった。

歌川派浮世絵の正統であり、柔らかな筆致と色合いによって描かれる日本画は当時、絶大な人気を誇った。

 

深水画塾設立(その後 朗峯画塾)や、

人物画の再興を目指した青々会の設立、山川秀峰と門下を糾合し青衿会(その後 日月社)を結成するなど、

日本画家の育成や日本画の発展にも力を入れている。

 

また1943年には、海軍報道班員としてシンガポール・セレベス・ボルネオ・バリ島などを巡った。

その時描いた4000枚を超えるスケッチは、日本橋三越にて 南方風物展 として一般公開された。

 

代表的なモチーフ

美人画など

 

年譜

1898年 東京都 生まれ。

1907年 小学校3年で中退、看板屋に奉公し住み込みで働く。

1911年 夜学に通いながらも、鏑木清方へ入門。

1912年 巽画会展にて「のどか」が初入選する。

1914年 再興 日本美術院展にて「桟敷の女」が初めて入選する。

1915年 文展にて「十六の女」が初入選する。

1922年 平和記念東京博覧会(東京府主催)にて「指」が2等銀牌を受賞する。
平和記念東京博覧会とは、第一次世界大戦が終結し平和記念・日本産業の発展を志すために上の公園で開催された展覧会。

1924年 帝展に「おしろい」を出品する。女優川田芳子・岡島艶子をモデルにした作品。

1927年 当時29歳で、深水画塾を設立し主宰する。

1929年 帝展にて「秋晴」が特選を受賞する。

1933年 帝展の審査員になる。

1946年 日展の審査員になる。

1947年 日展に「鏡」を出品。

1948年 前年出品した作品「鏡」が戦後復活第1号として日本芸術院賞を受賞する。

1958年 日本芸術院会員に推挙。また日展理事を務める。

1972年 ご逝去。享年74歳。

 

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