絵画売却・版画売却をお考えならバーバリーアートスペース

絵画売却・版画売却・美術品売却のご相談

無料買取査定 LINEで無料買取査定
お気軽にお電話ください! 03-5820-8240

営業時間 AM10時~PM5時 / 土日・祝日定休

babari@b-artspace.com

メニュー
☓閉じる

お気軽にお電話ください!

03-5820-8240

営業時間 AM10時~PM5時
土日・祝日定休

藤田嗣治

作品一覧

プロフィール

1886年、東京市牛込で生まれる。

陸軍軍医の家に生まれ、父の上司だった森鴎外の勧めで東京美術学校(現在の東京藝術大学)の西洋画科に入学した。だが、当時の日本画壇は黒田清輝らのグループによる印象派、写実主義が主流であり、藤田は不遇であった。

 

日本画壇への失望から1913年に渡仏して、パリのモンパルナスに居を構える。当時のモンパルナス界隈は郊外の新興地であり。家賃の安さから芸術家や画家が多く暮らしていた。隣部屋のモディリアーニ、シャイム・スーティンと親しくなり、彼らからエコール・ド・パリの画家たち、パスキン、ピカソ、キスリング、ジャン・コクトーなど(現在でも広く名を残している芸術家たち)を紹介され、交友を結んだ。

 

パリではキュビズムやシュールレアリズムなど、新しい芸術が登場しており、日本で「黒田清輝流の印象派の絵こそが洋画」だと教えられてきた藤田は衝撃を受け、パリの芸術の自由さや奔放さに魅せられこれまでの作風を捨て、一から芸術を模索する。

数年は困窮する生活を送るものの段々と作品が評価され、個展を開くまでになる。

1918年の第一次世界大戦終結後には戦後の好景気でパトロンがパリに集まり、藤田の芸術活動の追い風となる。

 

面相筆と墨で細い輪郭線を引き、ベビーパウダーを用いて作った『乳白色』で描いた裸婦像が非常に高い人気を得てサロン・ドートンヌの審査員にも推挙されるなど、急速に藤田の名声が高まった。

パリの寵児とまで呼ばれるほど藤田は経済的にも成功し、パリで芸術的なセンセーションを巻き起こす。1925年にはレジオン・ドヌール勲章を得た。

 

1933年、日本に帰国。

日本でも芸術活動を行うが、その後の第二次世界大戦の中で戦争画を描くことになり、終戦後には「戦争協力者」との烙印を押され、GHQからも追われ、日本国内の情勢に嫌気がさし1949年に日本を去り、フランスに帰化する。

1959年、ランス・ノートルダム大聖堂でカトリックの洗礼を受ける。

レオナール・フジタの名を得たのはここから。

1968年、死去。

 

どんな事でもお気軽にお問い合わせください!

お電話でお問い合わせ

03-5820-8240

株式会社バーバリーアートスペース

〒103-0004
東京都中央区東日本橋2-1-6 岩田屋ビル2階
TEL 03-5820-8240 / FAX 03-5820-8241
東京都公安委員会古物商許可 第306629702079