東山魁夷日本画 版画の販売
作品一覧
プロフィール
東山魁夷
Kaii Higashiyam
1908年〜1999年。
神奈川県横浜市出身。
文化勲章受章者、従三位勲一等瑞宝章受章。
風景画の分野で国民的画家と称される日本画家。
青や緑を基調とした色彩は「東山ブルー」と呼ばれ、森や湖、雪景色など日本の四季を静かな筆致で描いた。
人物や動物をほとんど登場させない風景画でありながら見る者に強い印象を残すのは、現実の景色を写すのではなく、自然と向き合うなかで感じた心の動きを画面に投影しているからではないでしょうか。
東京美術学校(現・東京藝術大学)卒業後、ドイツのベルリン大学に留学。
帰国後も北欧や中国など各地への写生旅行を続け、国内外の自然を題材にした作品を生み出しました。
東宮御所壁画「日月四季図」、皇居新宮殿壁画、唐招提寺御影堂への障壁画奉納など、日本の歴史的な場への仕事も多く残しています。
「緑響く」はテレビCMにも使われ、日本画になじみのない層にも広く名前が知られるきっかけとなりました。
1972年に制作された「白い馬の見える風景」に登場する白馬は、魁夷自身が「心の祈り」と語った特別なモチーフで、現在もお問い合わせの多い人気シリーズのひとつです。
版画について
東山魁夷の版画には、生前に本人が監修し署名・印を入れたオリジナル版画と、
没後に遺族の監修のもとで制作された復刻画があります。
復刻画には東山家公認の承認印が押されており、原画の色彩や質感を高い精度で再現しています。
(なお、一部の版画作品については東京美術俱楽部による鑑定も行われています。)
贋作問題について
かつて画商による贋作版画の制作・販売という事件が発覚しました。
これを受けて東京美術倶楽部では、問題のあった一部の版画について鑑定が実施されています。
バーバリーアートスペースでは、真贋保証の真作のみを取り扱っております。
生い立ち
日本画家になるという強い決心を持ち、家族のもとを離れ東京美術学校(現在:東京藝術大学)の日本画科に入学する。
同期生は橋本明治など。
旅行で訪れた土地で、雄大で美しく 時には厳しい面を持つ自然に圧倒され、テーマとして描くようになる。
美大4年生のとき帝展にて秋の農村風景を描いた「山国の秋」が初入選、翌年も「夏日」で入選する。
東京美術学校を卒業後は、研究科に進む。
日本画家である結城素明に師事し、雅号を魁夷とする。
小堀鞆音(日本画家・故実家)や川合玉堂(日本画家)にも師事する。
研究科を修了し、かねてより留学を志してたドイツのベルリン大学哲学科美術史部に入学する。
文化の違う世界での講義や、欧州の自然・芸術に大きく影響される。
しかし船具商であった父の体調が悪化したことからドイツ留学を途中で諦め、日本に帰国することとなる。
帰国後も制作活動は続け新文展(第一回)にて「高原秋色」が入選するが、画家として苦しい時期が続く。
状況が厳しい中でも各地へ旅行は続け作品制作へ繋ぐ努力は欠かさなかった。
戦争が始まり、近畿地方などに疎開するが徴兵されるなど戦争に巻き込まれる。
しかし長期化する戦争の間に父を病で失い、戦後に母や弟も亡くしている。
暗く苦しい時期が長く続いたが、1945年の日展(第二回)にて、水辺に数頭の馬を描いた「水辺放牧」が入選を果たす。
そして1947年の日展(第3回)にて、壮大で厳かな山々を描いた作品「残照」が特選を受賞、政府買い上げとなる。
風景画家としての地位を確立するはじめの作品となった。
その後も「光昏」が日本芸術院賞を受賞し、東宮御所の壁画「日月四季図」の制作に取り掛かるなど活躍の場を着々と広げた。
美大生の頃から各地へ旅行していたが、北欧、欧州、中国など絶えず写生旅行を行い制作活動に励む。
その中で東山らしい青、緑が誕生した。
ゆかりの土地
1988年に居住地であった千葉県市川市の名誉市民に選ばれ、94年には千葉県に東山魁夷アートギャラリーを開館する。
90年には長野県信濃美術館に東山魁夷館が開館する。
魁夷本人の生まれとは関係のない土地だが、自然豊かな長野県に多くのインスピレーションを受けスケッチ旅行に何度も訪れ、生前 魁夷本人が作品・スケッチなどを多数寄贈したことをきっかけに開館へとつながった。
さらに95年には 東山魁夷心の旅路館 が開館し、長野県山口村名誉村民にも推挙されている。
海外での評価
西ドイツ プール・ル・メリット学術・芸術院の外国人会員に選任され、その後バイエルン州功労勲章を受章したことや、
ウィーン分離派(正式名称:オーストリア造形芸術家協会) ウィーン・キュンストラーハウス名誉会員に推挙されるなどの活躍も見られ、
海外で展覧会を何度も開催するなど評価も高い。
弊社での取り扱い実績
東山魁夷先生の代表とする豊かな自然を描いた原画作品(紙本)や、色紙の作品など。
版画作品は生前の本人印作品や、復刻画など、
人気の白馬の図柄や、緑や青が美しい作品、日本の四季を主題にした作品など多数お取り扱いしております。
作品をお探しの場合はこちらから。
HP未掲載作品もございますし、入荷後のご連絡も可能です。
代表的なモチーフ
東山魁夷が生涯を通じて描き続けたのは、森、湖、山、海岸など日本の自然風景です。
人物や動物をほとんど登場させず、自然そのものと向き合い制作をつづけました。
「東山ブルー」と呼ばれる青や緑の色彩は、東山作品を語るうえで欠かせない特徴です。
透明感のある青と深みのある緑を重ねることで、朝の湖面や山の霧、雪の夜など、光や空気の質感まで伝わってくるような表現を実現しています。
連作「白い馬の見える風景」(1972年)に登場する白馬は、当店でも特に問い合わせが多いモチーフです。
魁夷はこの白馬を心の祈りと語っており、作品の主題として描かれています。
青い森や湖と白馬の対比は、静けさの中に強い存在感を持ちます。
有名な版画作品
富士山五合目のブナ原生林をもとに描いた幻想的な一枚。
魁夷自身が「白馬は私の心の祈り」と語ったモチーフを描いた、シリーズ中最も人気の高い作品のひとつ。

白馬シリーズの中でも穏やかな季節感がある。
青森県種差海岸を取材し、前方へまっすぐ続く一本の道だけを描いた。
人物も建物も省いた潔い構図は当時の日本画に新境地を開き、戦後の再出発と重なって広く親しまれた。
長野県の御射鹿池を取材し、コバルトブルーの水面に映る落葉松の中を白馬が歩む。
テレビCMにも使われ、幅広い層に知られる作品。
※その他にも多数の有名作品がございますので、順次追加していきます。
年譜
1908年 横浜生まれ。
1929年 帝国美術院が主催の官展:帝展(日展の前身)にて「山国の秋」が初入選。
1931年 東京美術学校日本画科(現在は東京藝術大学美術学部)を卒業し、研究科に進む。
明治から昭和にかけて活躍した日本画家 結城素明に師事する。このとき雅号を魁夷とする。
1933年 東京美術学校 研究科を卒業。ヨーロッパ美術の研究を目的に渡欧する。
1934年 第1回日独交換学生に選ばれたことで、ベルリン大学哲学科美術史部に入学。
1935年 帰国。
1939年 日本画公募展の日本画院にて「冬日」が日本画院賞第一席を受賞する。
さらに大日美術院展で「山三題」が大日美術院賞第二席を受賞する。
1940年 日本画大展覧会にて「山」「海」が佳作賞を受賞する。
1945年 日展にて「水辺放牧」が入選。
1947年 日本最大公募展の日展にて「残照」が特選を受賞し、政府買い上げとなったことから世評が高まる。
1950年 東京美術学校卒業生1931年卒の有志らで結成された 六窓会 に参加する。
1954年 現代日本美術展にて「晩照」が佳作賞を受賞する。
1956年 「光昏」が日本芸術院賞を受賞する。政府買上げとなる。
1963年 五山会を、杉山寧、高山辰雄、西山英雄、山本丘人と共に立ち上げる。
1965年 日本芸術院会員に任命される。また、日展理事に就任する。
1969年 「朝明けの潮」が毎日芸術大賞受賞する。
文化功労者、文化勲章を受章する。
1974年 日展理事長に就任する。(翌75年に辞任)
1976年 ドイツ連邦共和国大統領から功労大十字勲章を贈られる。
1984年 日展顧問に就任する。
1990年 東山魁夷館が長野県信濃美術館に誕生する。
1994年 東山魁夷アートギャラリー(千葉県)が開館。
1999年 ご逝去。(享年90歳)
従三位 勲一等瑞宝章を贈られる。
他に多くの取扱作家がございます。
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千葉県鹿野山から見た山並みを夕暮れの光の中に描いた作品で、風景画家として歩む決意が込められている。